機友会ニュースデジタル版第149回 今村哲夫 氏(昭和37年機械卒)「機械系20代、30代の方々へ送る」~専門は深く、さらに幅広い知識・素養を身につけよ~
所属変遷:安宅産業→アタカ工業→水工コンサルタント→関西技術コンサルタント(現)
【海外で窃盗に遭ったこと】
若かりし頃、確か30代であろう、50年ほど前の忘れもしない出来事である。上司とアメリカに出張した時のことである。ケネディ国際空港からタクシーでニューヨーク州マンハッタン中心部に入り、2流か3流の薄汚いホテルに泊まった。会社から出る宿泊費・日当は限られていたので、節約のためはもちろんのこと、ニューヨークでは物価が高く、しかたがなく安宿を選択せざるをえなかったのである。
ときは、金曜日の夕方である。食事のために外に出た。適当にほろ酔い加減で外食してホテルに帰ってきた。なんと現金の一部、カメラや衣類や書類を入れたカバン類がすべてなくなっていた。愕然とした。たまたま幸いにして、パスポートやクレジットカード、わずかの現金など貴重品は、身に着けていた。フロントに詰め寄ったが、なしのつぶてで、なすすべもなく途方に暮れた。その階のアルゼンチンからの医師夫妻も被害に遭っていた。最寄りのニューヨーク市警の分署に盗難届をした。黒人の署員が「よくあることだよ」と人ごとのようにさらりというではないか。
翌日の土曜日早朝、しかたがなく、悶々としていたところ、ホテルの従業員から突然連絡があり、別の階の客室にバッグらしきものが引き裂かれて書類などがちらばってあるという。急いで見に行った。何とずたずたに割かれた自分のバッグではないか。現金、カメラなど貴重品の類のものを除いて衣服類、書類が出てきた。ほっとした。何とか出張が続けられる。バッグを従業員からもらったひもで縛り、這う這うの体でホテルを引き払った。
部屋からフロントまでバックを運んでくれたボーイ、タクシーにバッグを入れてくれたボーイにそれぞれチップを要求された。なるほどこれがニューヨークかとつくづく実感した。多分、登場人物はつるんでいるのであろう。しかし、知る由もない。
【身の安全は自分で守れ】
ニューヨークの安宿で窃盗に遭ってからつくづく反省させられた。
「安全と水は無料が当たり前」と考えるおぼっちゃまを脱皮できない日本人に対して、「安全や水に保険を掛けること」に徹するユダヤ人、これはイザヤ・ベンダサンの言葉である。
海外では、仕事のときはきちっとして背広を着て、それ以外は、目立たないラフな服装で過ごすことにした。宿としては、できれば極力良い安全な一流か中流以上のホテルを選択した。
そして、海外では、飛行機や電車や乗り物で移動中、いつも着慣れた普段着を着用することとした。時計は、いつ盗まれてもいいように安物を身につける。カメラは持って歩かない。現金はあまり持たない。できる限り、カードを利用する。下ろしたての新調物を身に着けない。着こなしたジーパンが抜群にいい。これは、鉄則である。ニューヨークの町で歩いていた時、道を聞かれた。そうだ!その町に溶け込むことだと、ほくそ笑んだ。ロンドンしかり、パリしかり、絶対にお上りさんと思われてはならない。
しかし、仕事のときは、身だしなみをきちっとした。顧客や関係者と会わなければならないので、不快感を与えないように心掛けた。
【英語で交渉力を磨け】
国際会議や外国での交渉では英語が圧倒的に主流である。英会話ができなければ、自分の言いたいことを主張する機会がまったくない。
私は在学中、衣笠キャンパスにあった理工学部のESS(English Speaking Society, 英会話研究会)で幸い英会話に接する機会があった。この貴重な部活動は、社会人となって筆舌を尽くしがたいぐらい役立った。
外国でのミーテイングでは、チェアーの役目としてインド人には発言を極力抑え、日本人にさらに発言を促せと言われる。インド人はよくしゃべる。日本人はあまりしゃべらない。日本人は、特に技術者は、自分の技術力や自社の企業力をアッピールするのがまことに下手である。国際人としては、「沈黙は金」のことわざが通じない。
英語は重要な道具として位置づけ、日ごろから大いに切磋琢磨して身に着け、外国人と対等に渡り合えるスキルを体得しておいてほしい。
【専門は深く、さらに幅広い知識・素養を身につけよ】
いよいよ、本論に入る。いやしくも機械工学科を卒業したといっても、在学中4年間勉強して社会出て、大学と実社会とが解離しているのに気がついて、愕然とした。
私自身は大学で学んできた機械に関する専門知識(本当は、あまり勉強をしなかった劣等生であるが。)に対して、実社会の要求する現実がこんなに違うのかと思いを知った。私の場合、 1962(昭和37)年、鉄鋼・機械系の商社(安宅産業株式会社。入社後、15年目に倒産。主力部門は伊藤忠商事株式会社に吸収合併。)に就職したことであり、「機械の専門知識」と「英語力」を生かしたいと心に秘めて社会に飛び込んだのである。
まず、安宅産業に入って、「化工機械課」に配属。与えられた業務は、米国から技術導入したばかりの「下水・廃水処理機器・システム」の販売促進である。その数年後、その部門がそっくり母体である水処理とプラント建設をする子会社、安宅建設工業(のち、アタカ工業に名称変更)が設立され、否応なしに転籍させられた。私自身、発展途上の水処理技術そのものに興味を持ち始めていたので、特に違和感はなかった。正直言って内心、商社を離れるのに一抹の寂しさやくやしさもあった。
因みに当時の下水道・廃水処理業界の動向は、次のとおりである。1950(昭和25)年代から1970(昭和45)年代にかけて、日本の産業が盛んになるとともに、廃水など垂れ流しのため、公害が起こり、各地の川や海が汚れていく。1958(昭和33)年、現行下水道法が、1967(昭和42)年、公害対策基本法が、1970(昭和45)年、水質汚濁防止法がそれぞれ制定された。
下水道普及率は、1968(昭和43)年20%であったが、最新のデータでは2020(令和2)年76.7%になっている。
まず気が付いたことは、法令などによる整備が後追いになっている。要するに、日本の水処理業界の黎明期にこの業界に飛び込んだことになる。知らないことだらけで戸惑ったが、待てよ、誰も知らないことが分かった時、これは、面白い興味がわく技術であることを直観で感じた。
水処理技術は、まさに理工における学際的学問領域の技術である。機械系では、水力学(流体の攪拌、混合)、材料力学(防食、配管材料など)、機械力学(ポンプ、遠心分離機、脱水機)など。土木系(ろ過、鉄筋コンクリート、耐震)、生物系(活性汚泥法、酸化、還元)、化学工学系(反応、攪拌など)さらに電気・電子系(モータ、制御システム)など多岐にわたる。今の理工学部では、もっとも中心的な役割を果たすのは、環境都市工学科であろうが、ハードの核となるのは機械系や電気・電子系ではなかろうか。
これからの若い世代の方々は、多様化・国際化している中で幅広い技術・スキルの習得が必要である。学生生活で習得できる技術は限られている。社会に入ってさらに本格的な幅広いスキルが必要である。私は、生涯にわたって専門は深く、そして学際分野では広く知識を習得する必要があると信じている。
【専門分野や得意分野の資格を取ろう】
今から6年ほど前であるが、2018(平成30)年のとき、デジタルニュースで「人生は異なもの味なもの」~失敗体験と英会話がわが「ほろにが人生」を支えた~で紹介したが、「資格」の重要性などをもう少し詳しく述べよう。
皆さんは、生涯順風満帆であれば、大企業や中小企業に入って数年経てば、係長、課長、部長、事業本部長、さらには副社長、社長など経営トップに出世されるであろう。運やツキがあっての話であるが、そうなるかもしれない。しかし、世の中はそんな甘いものではない。
会社や官民を問わず組織では廃部あり、廃業あり、合併あり、倒産ありで、また一方、個人では左遷あり、降格あり、転職ありと前途まったく不透明であると心に銘じておかなければならない。かつて「一つの事業や製品は30年」がライフサイクルであった。ひょっとしたら、今や事業や製品の寿命が10年、いや5年かもしれない。ということは、10年か5年でパラダイムシフトをしなければならない。
私が人生80数年間で体験したように会社は永遠ではない。過去に勤めた会社は、今現在すべてなくなっている。勤務地もかわった、職種もかわった。部門も幾度も変わった。変な上司にも仕えた。部下もいなくなった。最後に残ったのは、自分一人である。まさに転々として今に至っている。
結論を言おう。大学で専門科目を学習したことはいつも役に立つものではない。しかし、社会生活で経験、体験したスキルは、人生の知恵として大いに役に立った。ただし、失敗した貴重な経験や本物を見た体験、そして世界各国の優秀な経営者、専門の技術者や科学者と会ったことである。
ちょっと脱線したが、「資格」の話に戻そう。
資格には業務独占資格・名称独占資格・必置資格がある。ここでは、それぞれの資格には何があるかとか、難易度、特徴、メリット、デメリットなどについては、述べない。自分で調べていただきたい。
資格は、一生使えるもので、どこかで、いつか役立つものである。会社の肩書は、退職すればなくなる。「部長」「社長」と肩書で呼ばれるのは、所属している会社の就業中の時だけである。行きつけの飲み屋や高級クラブに行けば、お愛想で「部長さん」や「社長さん」と呼んでもらえる。
その点、「資格」は、本人が死ぬまで使えるが、最近、定期的に講習を受けるとか、継続更新のための論文提出とか、簡単な試験などがある場合がある。
要するに、いつか利用・活用できることがあるので、この混沌とした世の中で生き残るためには、ぜひ「資格」にどの世代でもいいが、特に若いうちに挑戦し、取得しておくことを老婆心ながら推奨する。
具体的な資格としては、技術系では「技術士」(機械部門、上下水道部門、建設部門、環境部門、総合技術監理部門など)、「電験3種主任技術者」、「弁理士」、「消防設備士」、「危険物取扱者試験」など、一方、語学系では、「英検」、「TOEIC」、「通訳案内士 」などが推薦できるものである。
例えば、「技術士」であれば、複数もつことが、将来転職・独立する場合やコンサルタント業務をする場合、有利である。因みに「立命館大学技術士会」が活動していることを付け加えておく。
【おわりに】
いろいろ雑駁な話題を羅列したが、20代、30代の方々へ言いたい。
青春生活を謳歌して、がむしゃらにやりたいことをして、友達をたくさんもって、失敗もいっぱいして、趣味を生かして、いろんな資格もとって、楽しくそして健康に留意して過ごしていただきたい。
私の経験・体験・スキルは、次のとおりである。
◆ ニューヨークでの窃盗事件は、忘れることができない貴重な体験であった。
◆ 海外では。身の安全のために普段着で過ごし、自分を守ることに徹底した。
◆ 学生時代ESS(英会話研究会)で活動したことが、社会生活で大いに役に立った。
◆ 機械系専門技術を核として水処理技術を習得し、学際領域の方々と交流ができた。
◆ 複数の資格(技術士2部門、全国通訳案内士など)保有により、同業種・異業種交流、昇進、転職、飲み会など思わぬTPOで発揮できた。
(追記)
子や孫たち12名が2024(令和6)年1月1日、7カ月ぶりに当家に集まった。わが妻は、9年前肺がんの手術をし、さらに4年ほど前からパーキンソン症を患っている。おかげさまで全員元気に新年の食事会を楽しんだ。
そのとき突然、能登半島地震のニュースが飛び込んできた。ここ、大阪府茨木市では震度3程度であったが、家や電球がゆらりゆらり揺れて地震のすごさを感じた。6年前の2018(平成30)年6月8日の大阪北部地震(震度6弱)でブロック塀が倒壊し、壁がひび割れ、屋根瓦がずれ落ちたことを思い出した。
私の好きな言葉で締めくくる。
Seize the day!(今を生きよ!)
(終わり)