機友会ニュースデジタル版第145回「大南正瑛先生を偲ぶ」 坂根 政男 氏(機械工学科 1972年3月卒業、元機械工学科教員)
大南先生の訃報を知ったのは,亡くなられてから2日後,理工学部からの連絡でした.半年ほど前に,お宅に数回電話をしましたが連絡がとれず,お変わりなく過ごされておられるのかな,と案じていたのですが.今は,悲しく残念な思いで一杯です.
先生と私との最初の出会いは,立命館大学の機械工学科3回生で「熱力学」の講義を受けたときであると記憶しています.細く長身の新進気鋭の教授(大南先生が30才代)で,黒板の端から端まで何本もチョークを折りながら,特徴のある字で書きなぐっておられ,熱意に満ちた講義でした.その翌年,先生の研究室に卒業研究生として志望・配属され,大学院修士課程,博士課程とご指導を受けました.博士課程を2年半で中退し,立命館大学に助手として職を得てから先生が定年退職されるまでの25年間,ご指導と公私にわたる交流をさせていただきました.
このような背景から,私の青年期に精神的な成長過程で最も大きな影響を受けた師であると思っています.勿論,その後の私の研究スタイルも先生から受けたご指導を色濃く反映していると思っています.私が助手になってからは,残念なことに,先生と一緒に研究をさせていただいたのは,実質的には5年間ぐらいでした.その頃から,先生は学内外の多くの役職を務められ,役職をされていない数年間を除いて,研究室にも余り顔を出されなくなりました.ただ,多忙な総長に在任中,ロンドンのクリープ国際会議(発電用ボイラやジェットエンジン等の高温で使用される機器の研究開発に関する国際会議)にご一緒し,会議後「坂根君,チョット冷たいものでも」と誘われ,先生が滞在中のホテルのバーで,ビールとワインを片手に研究への熱い思い等を長時間にわたって語られ,研究や大学のあり方等について歓談させて頂いた楽しい思い出が残っています.また,忙しい中でも研究室の学生との交流を大切にされ,楽しみにされていました.家族でお正月に先生のお宅に伺い,先生が描かれた趣味の油絵を見ながら,奥様の手料理を頂いたり,幼い次女が,お酒を飲まれた先生の頭の上まで登ろうとしていたのを,私たち夫婦はハラハラ・ドキドキしながら見守っていたのを思い出したりしています.
先生は,研究だけではなく文科省の役職や大学基準協会会長をつとめられる等,教育界での行政にも大きな力を発揮されました.学内での役職では,1988年から理工学部長を2年間,1991年から総長を2期8年間務められ,1994年のBKC開学をはじめとして,本学の発展に大きなリーダーシップを発揮されました.
近年の理工系学部の発展を目にするたびに,先生の本学の発展への寄与にはただただ感謝の言葉しか見つかりません.今は,ご冥福をお祈りするばかりです。
立命館と京都橘学園が協力して「大南先生を偲ぶ会」が,7月31日(月)の15:30から16:00まで,ホテルグランヴィア京都で開催されます.ご参加ご希望の方は,立命館のホームページでご詳細を確認ください.
(本稿は,退職教職員の有志の会のニュースに寄稿した追悼文を,発行者の許可を得て転載したものです.)