機友会ニュースデジタル版第26回 ロボティクス学科 手嶋 教之 先生 「ほんたうのさいはひを目指して」

「ほんたうのさいはひを目指して」

ロボティクス学科教授 手嶋 教之

ロボティクス学科の手嶋教之と申します。活字中毒者で、いつも文庫本を最低2冊は持っていないと落ち着きません。とはいえ老眼が進んでしまい、目が疲れて長時間続けて本を読むことが難しいのが悩みです。ミステリー、ファンタジー、歴史小説などいろいろ読むのですが、幼少時によく読んだ宮沢賢治が読書を好きになる原点であったと思います。賢治は童話作家、詩人として有名ですが、農学校教師でもあり、科学者や宗教思想家の側面も持っていましたので、彼の作品の根底にはそれらが強く影響していたと言われています。

賢治の最も有名な作品の一つに「銀河鉄道の夜」があります。何度もアニメ化されたり演劇として上映されたりしてきたほか、松本零士が「銀河鉄道999」を描くきっかけになるなど、後年の多くの作品に影響を与えてきました。この銀河鉄道の夜で最も重要なキーワードが「ほんたうのさいはひ(本当の幸い)」です。少年ジョバンニは親友カンパネルラと銀河鉄道に乗り込んで旅をしますが、その中で二人は「本当の幸い」とはなんだろうと悩み、「本当の幸い」を探しに行こうとします。

この「本当の幸い」とはなにか、について多くの研究者たちが論じています。当方はそれを文学的に論じる能力もないですが、たとえば賢治は農民芸術概論綱要という別の作品の中で、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と書いています。これこそが賢治の考える「本当の幸い」に近いものなのでしょう。自分たちだけ良ければよいという利己的な米大統領とは大違いの人生観・幸福観です。

米国でも日本でも政治の重要課題の一つに福祉政策がありますが、この「福祉」という言葉は間違って理解されていることが多いと思っています。例えば、「福祉」は英語でいうと“welfare”であると辞書にも載っていますし、そう習ったことでしょう。しかし実際にはそれでは意味が通じないことも多いのです。実は“welfare”という語は「配り施す」という意味ですので、政策としての福祉はこの語が適当な場合も多いでしょう。しかし一般用語の「福祉」とは必ずしも一致しません。「福祉」を手元の国語辞典で引くと「しあわせ、幸福」とでてきます。つまり「福祉」という言葉は、障害者や高齢者、母子家庭などに限定したものではなく、すべての人の幸せを目指すものなのです。

世界保健機関(WHO)は2001年にICF(International Classification of Functioning, Disability and Health)というものを制定しました。日本では国際機能生活分類と訳されていますが、現代の福祉の基礎的な考え方を集約したものとなっています。以前は障害者や高齢者に対して、身体機能の「できない」という側面ばかりに着目して医療や福祉が実施されてきました。しかしICFが言っているのは、できない側面ばかり見るのではなく、家族や生活環境などの環境因子や個人特有の因子を含めて、その人の生活全体を見て、その人の幸せを目指すという考え方です。

障害者や高齢者のための機器を作る場合には、我々エンジニアはついついその人の機能にばかり注目しがちです。もしもその人に手がなくて作業ができないなら、ロボット技術で人工の手(=義手)を作ればいいだろうと。それでうまくいくケースもありますが、現実にはせっかく作っても使ってもらえないケースは多々あるのです。たとえば1960年ごろに起きた薬害であるサリドマイド事件で重症の四肢欠損児が生まれたため、1968年から国家プロジェクトで全腕動力義手が開発されました。しかし、結果的に誰一人としてこの義手を使った人はいませんでした。もちろん当時のマイクロプロセッサの機能は貧弱で、今よりもはるかに性能の落ちるロボットアームでしたが、使ってもらえない原因はそれだけではありませんでした。生まれつき手を使えなかったサリドマイド児たちは、小さいころから足を使って生活をしてきましたし、それに慣れていました。彼らは足を使って食事をすることは当たり前でしたが、この義手を使って食事をするのはうまくできないし、なにより恥ずかしいと言いました。足ではなく義手を使うほうがいいだろうというのは、健康な人間の勝手な決めつけだったのです。

もうひとつ例をお話ししましょう。名古屋市立大学および大阪大学の名誉教授である川崎和男先生は世界的に有名な工業デザイナーです。川崎先生は車いす使用者で、自ら設計した車いすを使っています。しかし川崎先生の車いす設計のための知識は十分ではなかったので、作られたこの車いすは機能面からすると極めて出来が悪いものです。もっと機能の優れた市販の車いすはたくさんあるのですが、工業デザイナーである川崎先生にとってはデザインの悪い車いすに乗るのは絶対に受け入れられなかったのです。機能が低くて不便でもデザインの優れた車いすを使うほうが、川崎先生にとっては幸せなのです。

私の専門は福祉工学といいまして、このような車いすや義手などの福祉機器を研究・開発する学問分野になります。人体の機能に関する医学、機器のための工学のみならず、心理学や社会制度等も深く関わってくる複合領域です。上記のように最終目標は数値化の難しい「幸せ」というあいまいなものですから、一般的な工学の方法論だけでは解決できません。そこがこの分野の難しいところでもあり、面白いところでもあると思っています。

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