「切り拓いてきた未知(道)」
1962年卒業 堀 孝信
1962年卒業の堀 孝信です。自分を評価するのは不慣れですが、同級生が、あぁ!あいつかと云われる様な有名人、人気者でもなく極々普通の学生だったと思う。当時は、覚えたての麻雀にふけり、雀荘によく通っていた。又、学生運動が盛んで世の中は大変荒れていたが、幸い衣笠学舎は穏やかだった。
小生の志しは、京都を離れる事、モノづくりがやれる事、大企業でない事を目標にトヨタ系のトヨタミシン、自動車部品等を製造していた愛知工業を選択、入社。(‘65年愛知工業・新川工業が合併、アイシン精機に)
【2003年3月頃の堀 孝信 氏】
会社は、モータリゼーションの波に乗り、今日に至るまで経営面、技術面共、常に右肩上がりで成長を続け、今や世界をリードする立場まで変革を遂げている。
当時は、(社)自動車技術会を中心に、日本の全メーカーが協力し、欧米車を丹念に、地道にスケッチを行い、その「ナゼ」を一丸となって追及、克服してきた。
現在では、その「オカゲ」で技術を売る立場に変わって来ている。小生も特許、実用新案等で保護して、エンジンの冷却系、潤滑系、燃焼系、吸排気系、制御系等の幅広い系・部品でトヨタ他の国内外カーメーカーに貢献し、又、ベアリング,シールなどの専門機能部品メーカーの育成にも尽力して来た。
一方、立場・地位が変わってからは、この様な実績をもとに、新しい分野の基礎づくりとして、I製陶(現在はL社)との間でシャワートイレシステムを、又、THガスとの間で自動車エンジンを使った空調システムを量産化している。
加えて、世界のミニ基礎研究室を引継ぎ、専門の先生のご指導を得て独自のCOSMOSーPLANプロジェクトを動かして来た。しかし、COSMOS-PLANは未だ道半ばである。今は後輩達が形を変えてその一部を継続している。
他方、‘05年の愛知万博の目玉の一つであったロシアの「冷凍マンモス象」を展示出来たのは、企業名を出さなかったが、小生がリードしてきたシンクタンク会社である。一か八かの大勝負であったが、万博開幕2年前に企画提案し、採用され、大急ぎで先遣隊を編成してサハ共和国の北極圏ユカギル村まで赴かせた結果、運良くレナ川近くで永久凍土から発掘したマンモス象の頭部、足が保存されている事が分かり、現地に赴き確認して、それを入手する事にした。小生は別の交渉チームを編成してサハ共和国のヤクーツク市及びモスクワの政府機関との間で借用交渉を始めた。この交渉は、とても複雑であり、政治がらみであったが、粘り強く交渉しまとめる事が出来、関係者に大変喜んで頂く共に展示後は、入場者からも人気を博した。綱渡りであったが、小生も本当に良い経験をさせて貰った。
【マンモス象の牙付き頭部、足。2003年8月頃ヤクーツク市郊外で保管されていた時のもの】
開発も困難なテーマも目的を達成するのに資金が必要だった。その資金集めにはとても苦労した。が、それに勝る執念の様な志しとそれらに携わるチームワークの良さが、これらの困難を切り拓いてくれたと思っている。
注: COSMOS-PLANとは、’79年に発足。日・欧米にミニ研究室設立。テーマは、先端基礎技術他の研究開発
C:comet(米)、O:orion、S:satellite、M:mercury(仏、英、独)、O:oberon、S:spica ミニ研究室の略