私は1976年から2004年までは企業に在籍しており、立命館大学に移籍したのは2004年のことでした。以来、特任の5年間を含め、立命館大学に18年間お世話になりました。企業の退職、大学専任教員の退職、特任の退職と3度目の退職を経験しましたが、今回は、この先無職となる本当の退職になります。退職に際し、機友会から学生のみなさんにメッセージを発信できる機会を与えていただき、この記事を書いています。
学生の皆さんは、子供の頃からの夢を実現した成功談や、大学時代に計画した通りに社会人として成功した話をよく耳にされると思います。しかし、現実は、思っていたような展開になることは非常に稀で、むしろ、全く期待していなかった方向に進んだり、希望とは逆の結果となることの方が多いように思います。今後、学生の皆さんも思わぬ展開を経験させると思いますし、そうした状況で落ち込むこともあるかもしれません。思い通りに進まない時に、皆さんの気持ちを切り替える助けになるかと思い、ここでは私の経歴をご紹介いたします。
私は、修士課程修了後、志望とは別の企業に就職しました。これは、大学にきた募集枠の制約のためです。入社後の配属では、半導体分野以外を希望したのですが、半導体の研究所に配属されました。しかし、この期待に反する展開が、40年以上にわたって続けてきた赤外線イメージセンサの仕事につながりました。ただ、赤外線イメージセンサの仕事も、最初は希望したものではありませんでした。所属していた研究所内に、この仕事をやりたい人がいなかったことと、私が一番暇そうに見えたことでまわってきたもので、望まざる展開の一つでした。しかし、赤外線イメージセンサの仕事を始めてみると面白くなり、私にとってのライフワークになりました。
赤外線イメージセンサの仕事を続けられる環境に変化がなければ、私は企業で最後の定年退職を迎えるはずでした。しかし、この仕事が継続できない人事異動が計画されたことで、企業を辞める決断をすることになります。ちょうどその頃、運よく立命館大学に新設されたマイクロ機械システム工学科に転職でき、大学で赤外線イメージセンサの研究開発を続けることができました。また、大学に移籍したことで、学生の皆さんや、企業では交流できない方々と交流することができました。
学生の皆さんは、これから思い通りにならないことをたくさん経験されると思いますが、私が経験してきたように、その先には思いもよらぬ幸運が待っている可能性があります。うまくいかない時も落ち込まないで、常に前向きに進んでいただきたいと思っています。また、不断の努力で、その幸運を現実の成果につなげる力を蓄積してください。皆さんのご活躍を期待しています。