『立命館大学の思い出と平成とともに歩んだ社会人生活』
1989年(平成元年)機械工学科卒業 舘 康哲
「昭和が終わった!」「次は、平成に変わるんだ!」それは昭和64年1月7日、正月明けの、4回生の研究論文の追い込み中でありました。研究室で昭和天皇の崩御を知り、「昭和」から新しい「平成」の時代への幕開けを迎えました。
私は、故岩清水先生の材料力学研究室で、金属材料の内部応力を超音波センサーを用いて非破壊で解析する研究を行っていました。学部生のみ12名の研究室で、院生がいないこともあり研究活動もほどほどに、当時1号館の西側にあった中華カフェテラスの芝生で野球やグランドゴルフに興じていました。
肝心の研究ですが、島津製作所製の引っ張り試験機が壊れてしまい、部品の図面を起こし製作するところからスタートし、部品の組み付け・試験機の調整に時間を費やし、実験データもあまり蓄積できない状態で卒論を作成せざるを得ませんでした。それでも、先生から「良いデータが取れたね」と言われた時は、苦労が報われたと大変うれしく感じました。
岩清水先生には、2回生の小集団教育の理工学演習、振動工学の授業でお世話になり、大変わかりやすくご指導いただいたことを機に、4回生の研究室選びでは、先生の研究室を真っ先に選択いたしました。岩清水先生とは、2009年、先生の退官記念祝賀会で20年ぶりにお会いして、当時の思い出などを語りながら、お元気な姿を拝見いたしましたが、その後、残念なことに、病気でお亡くなりになられました。
さて、地元の岐阜に戻り、電子部品・セラミック部品メーカーであるイビデン株式会社に入社して、今年でちょうど30年を迎えます。まさに、平成とともに歩んだ30年です。私が入社した平成元年はまさにバブル最盛期で、その後バブル崩壊、90年代後半の構造不況、21世紀の幕開けとともに迎えた本格的なデジタル化社会、リーマンショックと度重なる大きな地震や風水害と、激動の時代を駆け抜けてまいりました。私の会社も電気炉等の素材型事業から電子部品やセラミック等の加工型事業へと事業構造を大きく転換し、携帯電話用電子回路基板やパソコンのMPU 基板、ディーゼルエンジン用排ガスフィルターなど、その時代のニーズに応じたニッチな製品を開発しお客様へ供給する会社へと変貌してきました。その中で、電子回路基板のプロセス開発・設備開発や、セラミック原料のプラント建設、製造現場の生産性改善といった生産技術業務に携わってきました。機械工学科で学んだ知識も多少ではありますが役に立ったと自負しています。現在は、環境管理・安全管理業務を担当しており、国内工場・海外工場の環境安全衛生のマネジメントや、関係官庁との協議会への参加、地元の大学でのエネルギー・環境工学の講義など、忙しくも充実した日々を過ごしています。
プライベートでは、3人の子供も手が離れ、最近の休日の過ごし方は、妻とドライブや畑仕事をしたり、京都の大学で学んでいる子供たち(残念ながら、後輩ではありません)の下宿を訪ねては、懐かしい京都の街並みを探索しています。30年前の面影を懐かしく思いながら、まだまだ知らない京都の魅力を感じている今日この頃です。
平成31年も4月30日で終わり、新しい時代を迎えようとしています。果たしてどんなことが待ち受けているのか、新たに迎える時代に期待を込めて筆をおきたいと思います。機友会のますますの発展を祈念いたします。