機友会ニュースデジタル版第100回 並川 宏彦 氏(昭和30年卒) 「機友会活動―薄らとした記憶を頼りに」

機友会活動―薄らとした記憶を頼りに

昭和30年卒 並川宏彦

昭和30年卒というと、もう65年も前になりました。元立命館大学総長の大南正瑛さん(1年先輩)の後をうけて、確か昭和29年頃に機友会の会長をしていました。当時は、専門学校が大学になったばかりで、色濃く専門学校の体質が残っていました。研究らしいこともなく、卒業研究をしたいと教員に迫ったことも思い出されます。当時、機友会は学生の会で、いまでも行われているようですが、バスを仕立てて会社の見学に行ったり、学生同士の親睦の活動をしたりしていました。私が会長の時に卒業生に呼び掛けて懇親会を開いたことが、記憶に残っています。

昭和30年に卒業しても、日本はまだ経済の成長期には入っておらず、同期生で直ぐに職につける人は少なかったようです。私も数年は職を変えていましたが、豊田中央研究所へ入り、研究終了後、企画調整部へ移され、研究所への出資会社の人に会う頃になると、トヨタグループに立命館大の機械工学科卒業生があちこちに居られることが分かり、呼びかけて2,3回集まり機友会の中部支部をつくろうと話し合ったことまでは覚えていますが、その後私が名古屋を離れたので、どうなったか分かりません。

数年後、私は工学部のない大学へ移り、物づくりの歴史、技術の哲学、産業遺産の研究をはじめました。定年後も続けています。このようなことから、名古屋駅近くにある豊田佐吉の旧豊田紡織本社工場の活用について、トヨタ財団と豊田自動織機から相談を受け、産業技術記念館をつくるに際して、基本構想(「産業技術博物館試論」1994.7.大学紀要)・展示計画つくりに参画しました。

現在、機械学会関西支部にある機械技術フィロソフィ懇話会で研究発表をしています。戦後の日本産業の復興を体で感じてきたこともあって、「戦後昭和期の日本の産業技術と社会」「自動車産業と社会」「産業考古学・産業遺産の定義」「機械の発展」「技術と科学の関係」などをテーマとしてまとめてきました。

2020年3月11日の機械学会関西支部定時総会講演会で「技術の概念」(懇話会では2018年講演)を基調講演として話す予定でしたが、世間を騒がせている新型コロナウイルスの影響を受けて、総会講演会は中止となりました。

「技術は、人間が社会的必要に応じて一定の目的を実現するために創意工夫し、物づくりの手段を用いてハードウエアやソフトウエアとして生産物につくり込んだものである。

生産物につくり込まれた技術は、その生産物が人間によって使われるときに、その物の機能や性能として現れる。」

と、技術を定義しました。これで、石器時代から今日までの技術を定義できるでしょう。

工学は日本では明治期に生まれた学問分野です。「工業技術に関する科学」でしょう。IoTやAIも出てきて「自動化」問題も面白いですね。機械工学に関わる皆さん「機械の概念」は明確なのでしょうか。「道具と機械」の違いについて考えをお持ちでしょうか。

機械に携わる機友会の皆さん、立命館大学理工学部機械工学科で学んだ延長線上で議論しましょう。

 (桃山学院大学名誉教授・工博)

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