機友会ニュースデジタル版第137回  濱野 隆一 氏(昭和61年卒)「若き日の一ページ」

理工学部機械科 昭和61年卒業の濱野と申します。
 今をさること30数年前、昭和末期の学生生活のお話を書かせていただきます。
 当時理工学部のキャンパスは衣笠に有り市内の女子大と交流できるという勧誘文句に釣られてESSに所属していました。
 入学当初は鷹峯にあった大学の寮に住んでいて徒歩や自転車、時々市バスで通学していましたが、当時最新鋭だったウォークマン装備で通学して大学生気分を味わっていました。
 今の様に音楽のサブスクやダウンロードは無かった時代なので、レコードからのダビングや、エアーチェックでカセットテープにプレイリストを作っていました。
 スポーツではマラドーナやボルグが全盛期で、学生なのをよいことに、ワールドカップサッカーやウィンブルドンテニスをリアルタイムで視聴していて、2回生から住んでいた北野天満宮裏の学生アパートでは、マラドーナが5人抜きでゴールを決めた時には、あちこちの部屋から歓声が上がったのを覚えています。
 サークルの先輩から引き継いだ、商店街の魚屋でのアルバイトをしていて、給料はあまり高くは有りませんでしたが、しょっちゅう売れ残りを貰っていたので若干は豪華な食生活を送ることができました。
 一人で店番をしていると、買い物に来たおばちゃんに鯖を三枚におろして欲しいと頼まれて、記憶を頼りに捌いたら、ヤバイ!身がかなり少なくなってしまった・・・、と思いつつ、何食わぬ顔で包丁を操るなんてことも。
 ESSの英語劇のセクションに所属していましたが、最大のイベントは毎年春先に行われる京都市内の大学のESS合同で行われるミュージカル公演でした。
 京都会館での2日間の公演のために50人規模のカンパニーで約3カ月間準備を進めるので、舞台の外でも色々な出会いやドラマが有りました。
 特に印象が強烈だったのは、当時京都芸大の学生でアンサンブルの指揮をしていただいた佐渡裕氏です。
 当時から今と大して変わらない風貌で、一つ年上ながらの貫禄に、圧倒され、じつは専攻は見た目によらずフルートで、指揮は好きでやっているとのことで、素人目にも感じるいつも汗だくでパワフルな指揮ぶりを、指揮者は皆凄い人間なのだと驚きました。
 演技や歌はもちろんの事、資金集め、舞台セット、小道具、照明や音響など多くの力をかき集めて舞台を作り上げる苦労の末の達成感と、公演が終われば、また各々の大学に戻って別々に活動を続けるからこその刹那が舞台芸術の醍醐味です。
 この感動を忘れられず卒業後に舞台関係の仕事に携わっている人間もいますし、今でも当時の仲間の内の何名かとは、毎夏キャンプをやる関係です。
 長い人生の中の、ほんの数年間の京都での大学生活でしたが、今にして思えば、頭の中での記憶は『夜は短し歩けよ乙女』の世界の様な非日常と混沌の濃密な時間でした。 
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