機械工学科:宮野尚哉
機友会会員の皆様、お元気でお過ごしでしょうか。機械工学科教員の宮野尚哉(みやの たかや)です。再び会報を担当致します。当研究室の研究領域は非線形動力学(カオス力学系)とAI(人工知能)です。詳細については下記のURLをご参照下さい。院生、卒研生たちは賑やかにやっているようです。
http://www.ritsumei.ac.jp/se/~tmiyano/index.html
今回の話題ですが、機友会事務局から「文学入門」について書いて欲しい旨のアドバイスをいただいております。元来が堅い人間の私としては、堅い話は得意ですが、いくら何でも文学とは、ちと方向が違っております。しかし、何とか務めを果たしたいと思っております。
何故「文学入門」でしょう。実は、本学図書館から、学生に向けての推薦書籍を10冊ほど挙げて欲しいとの依頼を受けたのです。それらのうちの一冊として、桑原武夫著「文学入門」(岩波新書,1950年)を挙げておいたのでした。推薦の言葉は以下のようなものであったと記憶しております。「実学全盛の、このご時世に、何を今更文学、と思っておられるあなた、この本を読むと文学は人生に必要だ、と実感されることでしょう。
この本は、私が高校生の頃に、現代国語担当の先生から読むように命じられた課題図書です。課題図書でなければ買わなかったし、読まなかったでしょう。随分と古い本ですが、まだ持っていました。本の内容は完全に忘れておりました。そこで、パラパラとページをめくってみますと、「第1章 なぜ文学は人生に必要か」とありまして、「必要であることは決して自明なことではない」というようなことが書いてあります。その後、第2、3、4章と続きまして、最終章の第5章が「『アンナ・カレーニナ』読書会」となっています。文学好きな方は、『アンナ・カレーニナ』をお読みになられた後、この第5章を読まれるのも一興かも知れません。
推薦図書に挙げておきながらこんなことを申しますのも何ですが、今時こんな本を読む学生がいるのかなと思っておりましたところ、案に相違しまして、これが結構人気がありましたようで、理科系中心のBKCにもかかわらずかなりの貸し出し実績があったとのことでした。
文学への入門については、もう一つエピソードがあります。本学文学部の瀧本和成教授は日本文学がご専門ですが、理工学部が提供する教養科目「実践データ科学」の立ち上げに際して、理工学部は瀧本先生にいろいろとお世話になりました。そのご縁で、私は、瀧本先生に「文学を系統的に学習するには何から読み始めれば良いか」という質問をしたことがあります。瀧本先生のお答えは以下のようでした。「文学を勉強するには、教養文学と呼ばれるジャンルの小説から読み始めるのがよろしい。教養文学の小説は概ね以下のようなテーマと構成で書かれている。青年が大学に進学するために地方から都会にやって来る。そこで様々な人たちとの交流を通して学問に出会い、恋をし、挫折して大人へと成長する過程が究められているのである。」代表的な作品は、日本文学ならば、夏目漱石著「三四郎」と森鴎外著「青年」であり、西洋文学ならば、ヨハン・ゲーテ著「若きウェルテルの悩み」だそうです。
う~む、これはどうでしょう、こう言っては申し訳ありませんが、こういうテーマの小説は何とも陳腐で読む気が失せそうになります…。しかし、文豪たる者、先人の教養文学を研究し、先人の作品の到達点を超えるべく、新たな教養文学に挑戦するのだそうですから、読んで損ということはないのでしょう。因みに、私は上記3冊をすべて購入しましたが、まだ1冊も読破しておりません。
高校時代の現代国語の課題図書について書いているうちに、別のエピソードを思い出しました。古文担当のT先生は、当時、今の私の年齢に近い温厚な先生で、いつもニコニコしていた優しい老紳士でした。そのT先生が、いつになく熱い調子でクラスの生徒全員に暗誦を命じた古文があります。「平家物語」の冒頭の4行です。
祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響あり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
いまだに覚えております。クラスの生徒全員が暗誦できるまで許してくれなかったものですから、必死に暗記したのでした。あの当時は、ふ~ん、そんなものかとしか思いませんでしたが、今では何と重みのある4行でしょう。これこそ真理です(T先生、あなたは立派な教育者でした)。かつて京の都を支配し、権勢を極めた平清盛とその一族の栄華と滅亡の軌跡を綴ったこの書、ご興味が湧いてきた方は、例えば、石母田正著「平家物語」(岩波新書,1957年)をお読みになられては如何でしょう。
さて、そろそろsummaryを述べる段となってまいりました。文学と機械工学は一体どういう位置関係にあるのでしょう。蓋し、機械工学はedge of scienceという立ち位置を取っているのではないでしょうか。edge of scienceとは、文字通り、「科学の縁」です。機械工学は物質文明を支える産業の重要な構成要素です。産業は人間社会になくてはならない基盤です。社会を構成する人間一人一人のあり様を考究することは文学の使命でしょう。機械工学は人間そのものを考究しませんが、科学の実社会への応用を通して、人間と向き合っていると言えます。基礎科学や数学は、人々の日々の生活と直接に接していないという意味で、center of scienceと位置付けられるでしょう。これに対して、工学は人々の生活に直接接しているという意味においてedge of scienceです。こうして、科学の縁にある機械工学に携わる者にとって、人間とは何かを究める文学を嗜むことには実用的にも意義があると私は思うのであります。
それでは、会員の皆様、ご機嫌よう、2019年も良い年でありますようお祈り申し上げて、本稿の締めとさせていただきます。